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資源経済学 [環境問題]

30年ぶりに学生をしている。
先生はほとんど年下である。
同級生は90%年下だが、10%は年上である。
定年退職後に社会人枠で再勉強を開始したシルバーである。

今、新しい学問ということで、資源経済学を学んでいる。
環境経済のときはシルバーもちらほらいたが、こちらは私一人である。
なんでも日本では専門家が数名しかいない分野だそうだ。

水利権売買やら、資源管理など、日経新聞のトピックにありそうな話題ばかり。
日本は資源のない国だ、資源がないから貿易するしかないと教えられてきたが
資源がないって悪い意味ばかりではないそうだ。

「資源の呪い」という言葉がある。
鉱物資源に恵まれた国は、その資源を売って儲けようとする。
その資源に付随する一次産業に人と金がむらがる。
なので、二次産業の発達がおくれる。
製造業など二次産業のほうが多くの人を養い、多くのお金が得られるはずなので、国としては発展が遅れる。

資源の切り売りをして儲けたお金が、教育やらインフラ整備やら、産業振興やらにつぎ込まれるならいい。
次の産業で国民を食べさせていけるからだ。
しかし、多くの場合、そういう資源で得た金は、他のことにはなかなか向けられない。
売っても売っても、豊かにならない状態で国民は貧困から抜け出せない。
これを資源の呪いとよぶらしい。
「資源のない国のほうが、製造業を発展させて豊かになります。」

この先生に学んだ事で印象深いのは、リスク問題。
今回の原発事故に関し、こう話された。

300年に一度の津波、1000年に一度の地震を想定するかしないかということが話題になっています。
過去にあったこと、これから起こりそうなこと、なにもかも想定して、怖がって準備していたのでは生活できないという人もいます。
現在のリスク管理は起こる可能性と被害の大きさをかけ算にして、想定します。
10年に一度の事故でも小さなものであればリスクは小さいです。
1000年に一度しかおこらないことでも、それが国の半分も揺るがすような大きな被害をもたらすものなら、リスク全体としてはとても大きいものと判断します。
それは外国ではもうすでに取り入れられつつある方法ですが、日本ではまだなんです。
1000年に一度しかおこらない、じゃあ、いつおこるかおこらないかわからないようなものだ。
そんなことを想定するなんて、杞憂だと考えています。
東電など企業はお金のかかることは考えたくないのが当たり前です。
政治家もしかり。
国土交通省や経産省という、管理指導するべき日本の行政機構の考えが遅れているんです。
今回の地震の人災部分、責任は国にあります。

若い人ならこその言い切り方が格好よかったな。





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復興建築需要 [環境問題]

震災後、マンション需要がふえたらしい。
一軒家を建てても災害にあえば、借金のみが残るだけだから、賃貸マンションでいいわと考える人がふえている。
福島で被災した人たちが移り住んだ新築マンションから、高い放射線量が検出されたというニュースが流れた。
計画的避難区域内の浪江町内で採取した石を建築資材として双葉砕石工業が販売した。
石は事故前に採取、事故後も計画的避難区域内に放置。
もしかしたら放射性物質が付着しているかもなどと疑いもせず売ったそうだ。
総量5280トン、19社が疑いもせず購入、道路や河川の土木工事、マンションの建設工事に使用したと
判明。

これを取り締まる法律なく、使用前に線量を調べる義務もない。
しかし、コンクリートに混ぜ込まれれば、今後数十年はそのまま放射線を放出しつづけるわけであり、被害は大きい。
当該マンションは行政が被災者用に借り上げたものだそうだ。
やれうれしと、入居したばかりの被災者たちはまたもや移転せざるをえない。
住処が定まらないのでは、生活が落ち着かないことだろう。

法律的に規制がない、義務がないというところがおおいにひっかかる。
避難区域内にあるすべてのものは一度は線量をはかり、安全を確認しないといけないだろう。
食品であれ、なんであれ、確実に安全を確かめなければならない。
マスコミが「風評被害』という言葉をゆがめて広めたため、事前規制がしにくくなっているのも問題。
砕石業者が規制がないのをいいことに故意に売りにげた、建築業者が故意に利用したのではと勘ぐりたくなった。

責任は個々の業者のみにあるのではない。
復興建築需要のため、大量の資材が必要とされることは予測できていたのに
なんら、規制せず、指導しなかった、監督官庁の責任は大きい。

国土交通省、建設省、環境省を3つもの省庁にまたがる案件のようで、
これから一緒に調査するそうだが、遅すぎるのではないか?
被災地周辺ではすでに道路がかなり修復されている。
もしここに使用されていた場合はどうなるのか?
それを建設した現場作業員の被曝はどうかも気にかかる。

今回の地震でわかったことが一つある。
日本の政治家や行政官庁は「税金を使って、国民の命を守るためにある」という認識がほとんどないということだ。
東北を襲ったのは地震という天災だが、あとに打ち続く災害は明らかに人災だ。
戦後50年以上かけて進んできた道をふりかえると、たくさんの間違いがあった。
その中の最大のものが、官僚政治とそれにおもねる政治家を繁栄させたということかもしれない。







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浜岡原発停止要請 [環境問題]

生まれてこのかた、私は「放射能はこわい!」と教えられてきた。
おそらくすべての日本人はこわいと思っていると信じていたが、福島原発事故以来、その日本人の共通認識がゆらいでいる。

小・中学校の遠足では広島や長崎の原爆跡地を訪問し、放射線による熱傷やけどのある人物から、放射能の恐ろしさを聞いた。
高校のとき、同級生が白血病で亡くなったが、
広島で原爆にあった祖母の遺伝子、つまりDNAが損傷していたせいではないかという話だった。

30年前、医学部の授業で、「放射線をあびた量と健康被害は正比例」だというグラフを見せられた。
つまり少しでもあびればそれだけ健康に影響がでるということであり、「これからレントゲン検査などをすすめることがあるだろうが、不必要な曝露はさせないように」とこんこんと言われた。
そのとき「これ以下なら放射線をあびても大丈夫という閾値はないのですか?」という質問が出た。
教授はこう答えた。
「自然にも放射線は存在するから、それと同じ量、つまり年間2.4ミリシーベルトくらいなら大丈夫と考える人もいるでしょう。
地球上ではそれ以上の放射線量が計測される国もありますし、そこでも人類は暮らしているのだから、耐性はあるでしょう。
もし、閾値があるとすればその土地の自然放射線量でしょうね。
それ以上はすべて何らか影響があると考えられますが、それがすぐ目に見える影響かどうかはわかりません。
検査のためとはいいながら、人工的に過度に被曝させるということですから不必要な検査はしないように。」



放射線の年間許容量の基準値がどんどん引き上げられている。
事故以前は年間1ミリシーベルト、現在は20ミリシーベルト。
事故があってから数字を変えるくらいなら、そもそも基準値を決めた意味がない。
基準値とはクライテリア、それ以上なら断固たる対応をして、それ以下におさめなければならないという線引き値だ。
逆にいえばその数値までは安全であるからそのままでもよいという線引きでもある。
「20ミリシーベルトまでいいということではなく、それ以下、できるだけ少なくなるようにすることにかわりない。」という
原子力安全委員会や政府の見解は基準値の意味を矮小化し、努力目標のように取り違えて解釈している。

いくらまでなら安全で、いくらから危険なのか?
その答えは世界中でも見つけられない。
実は閾値という考え方すら、まだ実験検証されてはいないのだ。

有名な勝間和代さんがテレビで発言しているよと友人に教えてもらった。
ニコニコ動画でみて唖然とした。
「チェルノブイリで亡くなったのはわずか50人、そもそも放射線が健康に被害があると証明されてはいない。」というのだ。
医学的に証明するということは本当にむずかしい。
これをのんだら必ず死ぬというなら証明できるが、体調によって亡くなることもある程度では証明できないからだ。
医学はあくまでも経験科学である。
ただ、常時、放射線をあび続ける職場にいる人の発がん率は高い。

チェルノブイリではたった50人云々という言い方で、放射線はこわくないということを主張しておられるのだが
言い過ぎであろう。
6000人の甲状腺がん発生も、死んだ訳ではないからそれほどこわくないとなぜ言い切るのか?

過去の原爆、原発事故の経験から学んだことが「放射線はこわい」ということなのだから、
それを経済評論家が否定するには根拠を示さねばならない。
福島原発は世界に放射性物質をまきちらかしている。
勝間和代氏にいわせるとさしてこわくもない、根拠のない不安であるかもしれないが
日本人だけでなく、世界中の人が不安と恐怖を感じているのだ。
死んだ人間の数をかぞえあげ、津波よりましと言う感覚が理解できない。

さきほど、菅直人総理が中部電力に対し、浜岡原発停止の要請をしたそうだ。
フォッサマグナという日本断裂線の震源予想地真上にあり、かつ太平洋に面するこの原発は立地不安が大きすぎた。
3号機が点検中で4号、5号機が運転中。
福島同様、原発がならんでおり、海江田経産相の視察により福島同様の対策不備が指摘されていた。
民主党首相ならではの英断といっていいだろう。

たしかに電力不足になるだろうが、いったん事故になれば電力以上のものを失うことは福島が証明した。
福島原発はまだまだ収束できそうもない。
その上浜岡になにかあれば、日本は原発で滅ぶ。

御前崎市長は「原発交付金で潤っていた財政と経済がとどこおる。」と不満そうなコメント。
静岡県知事は「首相の英断に敬意を表する。」と好意的なコメントだ。
地方財政にとり原発交付金は大きいポッケ。
なんにでも自由に使えるはずなのに、福島では一時避難のシェルターすら建設していなかった。
公民館や体育館、温泉施設はあるのに一番必要なものがないとはと、大変驚いている。
地方政治家が巨額の小遣いを無駄使いして遊んでいただけなのだ。
これからは原発交付金でふくらんだ財政を縮め、人口の小さな市の身の丈にあったまちづくりを目指すべきである。


また、これまでは電力会社独占のため、太陽光発電をつけても売買電という形しかとれなかったが
自由化し、いろんな企業が電力を供給できるようなシステムにすれば、外国のように風力発電や太陽光発電の電力を指定購入できるようになる。
事故時の補償費もふくめた総コストで比較すれば、原発より他の方法の発電コストのほうが安いことは歴然としている。
量的な問題は数年で解決できるだろう。

東京人には、あまり関西は気にならないかもしれないが
じつは福井県の原発は13機も連なっており、危険である。
こちらも削減要請をしてほしい。





















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共通テーマ:日記・雑感

環境税 [環境問題]

4月から、30年ぶりに大学生にもどり、勉強をしている。
かつては人の三倍以上の長期間すくっていた学問の府だが、いまでは様変わり。
資格取得授業に精を出す若者たちと時代受けするテーマにひよる講師(古い表現?)に占領されている。
それでも学食は安いし、図書館は使い放題。
学生特権のありがたみを満喫している。

私が学びたいのは環境評価手法である。
これまでいろんな審議会委員を経験し、環境税づくりに関わってきた。
賢い主婦の主張ーつまりは「未来の地球環境を守るためなら少々お金をだしてもいいよ〜」という言葉を期待されていたのだと思う。
しかし、知れば知るほど、集めたあとのお金の使い道に不安がつのり、結局は反対意見を述べてしまった。
もちろん、その後の審議委員にはおよびがかからなくなった。

環境税がなにものか、誰がどのように使うのかはあまり討議なく
「お金いるいる」という行政と「どこの県でもやっている。いまならいけまっせ!」という学者の後押し、
「よく知らんが環境にいいことなら〜」とう県民の無知無関心にささえられ、あっという間に環境税導入が決まった。
それが一世帯500円なのか、800円なのかの討議には学者による算出もあったが
行政希望額をうけての後付けだった気がする。
住民の収入と関心の度合いで、「ここならこれくらいいけまっせ!」という感じ。
私以外にも反対者がいたが、学者という名の有識者の意見は尊重されるようで、筋書き通りの結末に落ち着くことになった。


そのとき学者がつかった論理ー当県の森林環境の評価と税金投入により費用対効果ーは
私には未知の世界だった。
聞けばそうかしらんと思えるものではあるが、どことなくうさんくさく、こじつけがましく思えた。
泥縄に勉強してはみたが、用語の理解もあやふやで反駁できなかった。
あの審議会で決まってから、県民はみな税金を徴収されている。
あいまいな知識で責任ある決定をしてしまったことにずぅっと責任を感じ続けていた。

そんなわけで、子育てが終わり暇ができた今年、ゼロから勉強を始めたのだ。
行政のほうの論理の使い方はよく知っているわけだから、
学ぶことひとつひとつが、「あ、これはあそこでこういう論理付けをするのに使っていたな。」と思い当たる。
本当に正しいかどうかは不明でも、実際に行為の理由付けとなるなら、それが現在のところ社会的には正しい論理とされるわけである。

「原発が温暖化を防ぐための環境にやさしい安全な発電である」
いまとなってみればそれが嘘だとわかるのだが、その論理が正論としてまかりとおっていた時代もあった。
もちろんこれからも「福島原発は古いから事故っただけ、津波がきたから壊れただけ」という調査結論が用意されているはず。
原発そのものの是非は「より安全なもの新しいものを管理強化すれば大丈夫」とすり替えられそうだ。
なにしろ原発事業にまつわるお金は巨大なのである。

やりたいことの正当性を主張するために、「環境にやさしい」が便利につかわれる時代である。
私はもう他人の(行政や有識者の)論理をそのまま受け入れたりしたくないのだ。
自分で環境評価と費用対効果の計算をし、自分で是非を判断できる人になりたい。
道はとおいが、そのほうが生きていて気持ちがよいと思う。






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避難区域の考え方 [環境問題]

福島第一原発事故で計画的避難区域外だった飯舘村で4月16日に避難説明会があった。

放射線量が24日間で10ミリシーベルトをこえている。
計画的避難地域の基準値が年間20ミリシーベルトだから、
単純に365日間で計算すると150ミリシーベルト、基準値の7倍以上になる。
放射性ヨウ素は半減期が8日。
8日目に二分の一へり、16日目にそのまた二分の一へる。
つまり24日目は八分の一になっているわけで、今後も減ってはいく。
だが原発事故の収束が未定。
これからも何が起こるかわからない状態なので
減っていくから心配ないとはいえない。

政府はなかなか認めなかったが、
1.3号機の建屋の水素爆発は核燃料のメルトダウンによるものであり、
最初の爆風とともに、放射性物質が飛散していた。
原発爆心地からかなり離れていても、風向きや最初に雨がふった地域では
スポットとよばれる局所的に高い放射線量をしめす区域ができる。
そのことはチェルノブイリ事故の経過をみていると予測できうることであった。

心配なのは
放射性ヨウ素だけではなく、ストロンチウムやセシウムなど半減期が長い物質が検出されていること。
植物がカリウムなどとまちがえて、選択的に取り込むことから、将来的には除去できるとしても
それまでは大地に残る。

政府から飯舘村住民への説明会の様子がテレビで報道されていたが
住民たちの側にあまりに科学的知識がすくなく、感情的な話し合いになってしまっていた。
「離れるのがいや。」
「保障はどうする。」
「移住しなければ罰則があるのか?」

放射線は目に見えず、さしあたり体調にも変化がないため
このままここに住んでいてもなにもおこらないような気がするのだろう。
しかし、この地にとどまり、飲食すれば確実に体内被ばくが生じているはずであり、
いずれ、その影響は現れる。
白血病は15年、固形がんは20年、小児の甲状腺がんは数年内だ。
住民が訴えるべきは むしろ、
「この地に暮らすと健康が阻害される可能瀬がある。移住したいから、その後の生活を保障してくれ!」

政府もお願いに行って物別れにおわるようではいけない。
いつまでに避難してほしいと期日をきり、受け入れ先で住民がくらせる具体的条件を示すべきである。
政府側説明役の福山副長官は若いが、きちんと話しており、十分任務を果たせる人物のようだった。
しかし、菅総理から預かってきた移住条件などの内容があまりに整っておらず、住民合意をえることができなかったのだと思う。
子供のおつかいじゃあるまいし、政府から行く限りは手ぶらのお願いではいけない。

ニューヨークタイムズやドイツ、フランスの報道では、
最初からメルトダウンしていると伝えられていた。
海外メディアはおおげさだと言わんばかりの政府対応、それにのった日本のマスコミ報道だったが
海外勢の判断のほうが正しかったことになる。
災害は大きく見積もって対応し、あとからたいしたことなかったね〜という話でもよいのである。
なんでも小さめ、たいしたことないといっておいて、小出しに大事になるのが一番悪いパターンだ。

海外では再臨界の可能性も示唆されている。
冷却し続ければ、再臨界はない。
が、いまも余震がつづいており、更なる天災があると冷却中断もあり得る。
飯舘村住民に限らず、周囲30キロ付近までの住民はしばらくはその地を離れた方がよいと思う。

チェルノブイリ事故でも、周辺住民の多くはもどってきて住んでいる。
工場などはなくなったが農業はでき、以前よりも自然は豊かになっているそうだ。
事故が収束してみないと何年後になるかという数字はでないが、永遠にもどれないということは考えにくい。

早々に次の説明会をもつと思われるが
政府は具体的な話をし、住民側も感情的にならずに冷静に話し合ってもらいたい。

なお、計画的避難区域などという曖昧模糊とした言葉使いがさらなる混乱をまねいていると思われる。
そういう、論理的かもしれないが、直接的でなく、普段聞き慣れない言葉使いは、どうやら元弁護士の枝野官房長官の癖のようであるが、
一般人にはかなりわかりにくい。
司法あがりの政治家として自民党の谷垣氏なども大変わかりにくい言葉を使う。
もっと平易で一般的に知られた言葉を選ぶべきだ。

国民みんなが高学歴の知識人ではなく、本をよんで調べられるわけでもない。
知識のない人にもわかる文章で説明してほしい。













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衣替え [環境問題]

急に暖かくなったので、冬物のコートを片づけることにした。

クリーニング屋にもっていくとアンゴラやカシミヤなど高級素材は1000円アップと言われた。

たしかにタグにはカシミヤと書いてあるが、カシミヤにもピンキリがある。

高級かもしれない素材の安物をつかったバーゲン品なんですが・・と小さな声で抵抗してみるが、「カシミヤはカシミヤです。」と交渉に応じる気配なし。

本物の高級品ならどうどうと高値を払い、「気をつけてくださいね。」などと一言付け足すのだろうが、私の場合それは言えない。

こんなことなら家で押し洗いためしてみるべきだったと後悔しつつ、しょぼしょぼと店をでる。

 

昨年末から世の中はダウンのロングコートがブームであった。

実験中に飛んだ火の粉でコートの背中が丸焼けになった娘が正月早々に購入したのだが、このダウンコートは手洗いできたという。

フードに狸の毛がついているのをとりはずし、 残り部分をくるんでネットにいれ洗濯機の手洗いで洗ったところ、へちゃっとなったのでやはりちゃんとたらいで本当の手洗いをすべきだったかと後悔したらしいが、乾いてみると元通りにふっくら復元されたそうだ。

「お母さん、まっ黒い汁がでたわよ。上手に干すコツは途中で何回かおもいっきり振るってダウンをまぜることよ。」と得意げである。

 

ドライクリーニングの廃液は石油系で、環境によくないらしく昨今では立地規制もあるようだ。

毎年高価なクリーニング代をださねばならないカシミヤより、手洗いできるダウンのほうが環境にも財布にもやさしいかも。

ただ、ウールやカシミヤは毛を刈るだけで動物は殺さないですむがが、ダウンはよほどの高級品でない限りお肉は食用にされる。

先祖が仏教徒の私の気持ちとして多少こだわりがあったからこの冬は購入できなかったが、多角的にみると案外ダウンのほうがエコ?

エコノミック、エコロジカルだ。

 

ヨーロッパ製のダウンが上等だそうだが、動物愛護団体は何もいわないのかしら?

イルカや鯨は殺してはいけないのに、カモやアヒルはいいのかな?などと、あれこれ考えているうちに衣替えが終了した。

きっと来年はダウンコートを買い、鴨鍋を食べて暖房温度をさげるにちがいない。

それでも動物好きとよばれる矛盾を感じながら。

 

 

 

 

 

 


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エルニーニョの影響で [環境問題]

やっぱり野菜の値段があがった。

今年は黒点もほとんどなく、太陽の活動もあまり活発でなかったし、その上、南米の海水温があがるエルニーニョ現象がおきた。

日本など太平洋の西側にある国はどこも冷夏、日照も少なく、雨が多かった。

日照りが不足すると作物ができない。

地球がいかに太陽の影響をうけているかを改めて実感した。

京都あたりではつい先頃まで1コ100円だったキャベツが170円に値上がりしている。

えっとおどろくほど小さなほうれん草の束が170円、200円をこえると売れなくなるので内容量をへらし価格をおさえるという操作をしているらしい。

あっちにまがったりこっちが黄色くなったキュウリがなんとか40円をたもち、これはおそらくハネもので、いわゆる正規品なら70円もするのが当たり前。

果物もあきらかに高くなっている。

野菜を家族分4種類買うと、まず1000円を越える。

都会の人間は野菜ジュースともやしと根菜で野菜を食べたことにしている有様。

主婦が顔をあわせると、「野菜が高くなって生活苦しいわ」という話になる。

「でも食べないとインフルエンザになったとき、ビタミンが足りないと重症になるんでしょ。」と続く。

 

日本へのエルニーニョの影響は晩夏から秋にかけては温度が上昇し、あたたかめの冬を迎えるという。

これからは晴れる日もおおくなるそうだ。

野菜も安く出回るようになることを期待する。

彼岸にむかって、田舎人は都会の親戚にへんなまんじゅうを送るより、野菜を送ると喜ばれること間違いなし。

 

 


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冷夏の予感 [環境問題]

地球温暖化問題とは別にして考えると

今年は冷夏だ。

太陽の活動がかなり静かである。

黒点がすくない。(ということは表面も内部もかなり静穏)

7月も終わりなのに、まだ日本に梅雨前線が停滞している。

各所で豪雨、土砂崩れの被害が続出。

1時間で100ミリを超える降雨ということは、地表に10センチ以上の水が一気に流れおちるということ。

素人が考えても地面の短時間の含水力をこえている。

 

我が家でガーデニングをしていてもあまりミツバチにお目にかからない。

というより、今年は蝶も少ない。

さらにいうならハエも少ない。

無農薬の畑だから、いつも虫が多すぎて困っていたのに、これは変だ。

だから我が家の野菜や果物も実を結ばず、花だけで終わったものが多い。

こういうのを無駄花というのかしら?

虫の総量自体が少ないのか、 虫の活動が低いのか?(虫は紫外線に反応するから太陽の活動にも影響をうけるだろう)

本職の農家でも今年の秋の実りはかなり厳しいのではないかと予想しているようだ。

夏に気温があがらないと実らない作物もあるし、地面に反射板をひいて工夫しているが雨ではね。

 

食品の価格があがらなければよいと思いつつ、数年前の雨不足時にそれの対策で野菜作りをはじめたことを思い出した。

プロでもむずかしいことが家庭菜園でできるだろうか、疑問だ。

 

ところで、わがNPOのHPも読んで下さいね。

http://www012.upp.so-net.ne.jp/NPO-program/


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太陽光発電所 [環境問題]

吉永小百合さんが宣伝する太陽光発電所のCM、シャープは正月から出ずっぱり。
寂しげな車業界に比べ、胸をはってどうだ!とでも言いたげだ。
原発よりもいかにも安全そうだし、耐久性も高い。
問題は広い面積をとることだけ。

CMでは広漠たる砂漠に太陽電池が広げられている。
地球上には太陽が直射する、人の住まない土地がたくさんあるんだったことを思い出した。
でも風がふいて砂が覆いかぶさったら発電できないやろ?などと心配だが、余計なことか。

太陽電池の性能自体はここ数年の内に画期的に変わる。
その上コストも激減の予定。
薄い膜型も量産体制に入った。
原発よりも太陽だという意見に賛成。
昔読んだSFでは、あらゆる建物、車が電池パネルで覆われ
大気圏外にも太陽光発電の衛星タワーが浮かんでいた。
いつかはそうなるかもと思ってはいたが、案外早かったね。

日本は実は原発大国である。
そのために多大な研究開発費を投じてきた。
だから太陽光発電の技術がありながら、それを中心に据えることなく原発発電にシフトしてきた。
パネルを家庭に設置するときの補助金だって、一度はなくなった。
太陽光発電推進は国家戦略から消えかけ、原発推進に大幅にかたむいていたと思う。

原子力は二酸化炭素をださないクリーンなエネルギーだと電力会社は宣伝していた。
しかし、その放射能ゴミの始末が出来ず、六ヶ所村にためるだけだということは誰だって知っている。
四国、伊方原発のゴミも六ヶ所村にいく。
ゴミリサイクルの時代にリサイクルできないゴミをためてはクリーンとはいえないだろう。
屋根に太陽光電池パネルをつけた友人から「我が家で発電しているから、堂々と電気を使える」と威張られ、
私はこれまで肩身がせまい思いをしていた。

やれやれ、ようやく、本道にもどったか。
どの電気にしますか?と聞かれたら、私は迷わず、太陽光電池の電気下さいと言うだろう。
少々高くても、安心安全な電気を選ぶのがグリーンコンシューマーの自負。
シャープのあとは、サンヨーを吸収したパナソニックが追いかける。
日本製品はクリーンなエネルギーでものづくりをしていると売り出してはどうかな?













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落ち葉 [環境問題]

落ち葉が参道にへばりつき、お年寄りが足をすべらせそうになった。
日頃から掃除は好きではないが、他人の難儀を悠然とみすごせるほどではないので
朝から落ち葉を掃いてきた。
ひとかたまりにまとめて、さてどうしようかと悩む。
燃やす!!のが一番楽である。
燃やす!!とカリ肥料となると昔、どこかで読んだことがある。
しかしこのまま「燃やす」とけぶるだろう。
近所となりが迷惑すること、間違い。

もう少し乾かせば、あまりけぶらずに燃えるだろうが
最近、ためていた落ち葉に放火する人がいたそうで、家まで燃やされてはいけないと思う。

やはりゴミに出すか?
これを生ゴミにだすとき、心が痛む。
以前にも書いたが、山の中では落ち葉は地面で朽ちて森の肥料となる。
そういう循環を絶つことはとても心苦しい。
そうっとゴミ捨て場をみると、なんとすでに10コ以上、落ち葉がつまったゴミ袋が並んでいた。
この町全体で、いったいどのくらいの落ち葉が生ゴミとしても燃やされるのだろう。
本当にもったいないことだ。
しかも燃やす時には油をたして高熱にするのだ。
あの大きな焼却場の炉の中でめらめら燃える落ち葉を想像すると、胸が痛む。

落ち葉処理に困るので、都会の沿道は常緑樹に替えようという声を聞いたことがある。
しかし、日本人は紅葉が好き。
落葉樹がないと北原白秋だって「金と赤とが散るぞえな」とはうたえない。
辺り一面が人口植林の山みたいになるのは、ごめんだ。

落ち葉堆肥化ステーションでもつくってくれないかな?






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